八十八夜・端午の節句

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八十八夜・端午の節句
五月の暦では八十八夜・端午の節句などがあります。
 美味しいお茶を飲み、邪気を祓い、夏にむけての準備をする日とされる八十八夜
子供の健やかな成長を願う端午の節句、どちらも明日への向上を考えての
行事のように感じます。このふたつにはどんな由来があるのでしょう。

☆八十八夜について☆

八十八夜は立春から考えて八十八日目、新暦でいうと五月二日頃のことをいいます。

春から夏に移る節目の日とされ、農作業などの夏への準備を始めるのに
ちょうど良い頃と考えられています。

農家では「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この日を境に
霜が降りることもなくなり、霜よけのよしずを取り払い苗代のもみ蒔きを
開始する、もっとも忙しい時期に入ります。

八十八夜にお茶を飲んだり、八十八夜に摘み取ったお茶は味が良く、
縁起が良いともいわれて神仏に供えられたりしました。

お茶には邪気を祓い体を清める働きがあり、ビタミンCが豊富で
健康に良いともいわれています。

新茶が出回るのは四月頃す。
皆さんもぜひ、美味しいお茶を味わってみてください。
☆端午の節句について☆
端午とはもともと、月の初め午の日のことです。
午の音が五に通じることから,五の重なる五月五日を端午の節句に
したのがはじまりのようです。

古来中国では、五月を忌みの月とされて、野に出て魔よけの力が
あるとされた薬草をつんだり、菖蒲湯に入ったり、菖蒲酒を
飲んだりしました。

日本では、五月五日は田植えの前に、菖蒲やよもぎをひさしに
挿して、邪気祓い若い女の子の身を清める、さつき忌みの行事が
ありました。

このふたつの行事が合わさって端午の節句になったといわれています。

なぜ、元は女の子の行事だったのに、現在は男の子のお祝いの日
になっているんでしょう。

それは、武家社会になった鎌倉時代以降に、この日に使われる
「菖蒲」が「尚武(武事・軍事を重んずること)」に通じることから、
男の子の節句となり、武具を飾ったり、鯉のぼりを立てるように
なったとのことです。

端午節句に飾られる鯉のぼりは、武家社会では家紋入りの
旗さしものや吹流しを並べていましたが、江戸時代に町人が
紙製の鯉の幟(のぼり)を立てたのが始まりです。

急流だった黄河の竜門を昇りきったのが、鯉だけだったという
ことから、鯉の滝登りといわれ、水揚げされた鯉は一度はねたあとは
潔くまな板の上で動かないことから、武士の尊ばれて男の子を
祝うにふさわしい縁起ものとなりました。


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