七夕・中元

七夕・中元

日本の行事と文化ぷらざ

TOP < 七夕・中元
七夕・中元
七月の行事の七夕中元についてのお話です。
七夕というと彦星と織姫が七夕の日にだけ、会うことが出来るという伝説が
中国から奈良時代に伝わりました。一年に一度、七夕の日にだけ逢えるなんて
悲しくもロマンあふれる伝説ですね。
中元は日頃の感謝の気持ちの品を、お世話になったかたなどに中元として
贈る風習があります。
お歳暮の時期とは季節が違うので、品物選びも大切ですね。
他に暑中見舞いのハガキを出すなど、普段は手紙を書く機会のないかたでも
懐かしいかたにお元気ですか?と出してみるのも良いかもしれません。

☆七夕について☆

神の怒りに触れて、天の川の両側に離ればなれにされてしまった牽牛と織姫が、この日の夜に天の川を
渡って一年に一度会うことができるという、奈良時代に中国から伝わった風習です。
日本古来の棚機女(たなばたつめ)の行事へと結びついたということです。
この棚機女(たなばたつめ)とは、村で選ばれた女性が機屋(はたや)で、来臨する神のために
衣服を織ったという風習です。
江戸時代には、織姫にあやかって、針仕事・歌舞・詩歌の上達や良縁を願う女の子のお祭りとして
広まり、寺子屋の普及にともない、習字の上達を願うようになったようです。

笹竹に飾りをつける七夕飾りは、6日の夕方頃に軒先やベランダなどに飾ります。
かつては織姫に見てもらうと上達するということで、一年間に織った布の切れ端を
吊り下げたりしたようです。
手習いの普及が字の上達を願うという風習があり、願い事を色紙や短冊に書くと
願いが叶うとなったそうです。
その他に切り紙細工でひょうたんや千両箱などの縁起ものも作って飾ったということです。

七夕にちなんだ料理としては、糸と天の川にあやかって『そうめん』が良いみたいです。
現在の暦では七夕の時期は梅雨の頃なので、彦星と織姫にとっては残念な気がしますが、
短冊が流れるほど雨がふるのが良いとされている地方もあります。
全国でこの七夕にちなんだお祭りを催しているところが多々あるようです。
その地方によっては8月に行われるところもあるようです。
☆中元について☆
現在の中元というと、7月のはじめから15日くらいまでに日頃お世話になっている、親戚や
上司に品物を贈るということとなりますが、もとは日付をあらわすことばでその起源は中国にあります。

昔、中国に陳子椿(ちんしちん)という、容貌がすぐれて美しい青年がいました。
この青年に竜王の娘三人が恋をして、妻となりひとりずつ子供をもうけたそうです。
自然の気より生じたとされる道教の最高神の元始天尊が1月15日に生まれた子を上元一品、
7月15日に生まれた子を中元二品、12月15日に生まれた子を下元三品の位に処し、
それぞれ、天宮・地宮・水宮にして、人を災いから守らせたということです。
これらの日には神に食物をを供えてお祭りし、人々をもてなす風習がありました。
自然の運行や農事の区切りの時期を重んじる中国では、この三つの満月の日が
特に重要視されたということです。

なかでも、地宮は人を愛しその罪を許す神でしたから、中元の7月15日を贖罪(しょくざい)の日
として、人々は自らの罪をつぐなうために、金品をお供えしたということです。
贖罪とは・・・金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと。

これが日本に伝わり、お盆と結びついたのが中元ということです。
お盆に一族が先祖の霊にささげる品を持ち寄ったのが始まりで、今では
上元は小正月と一緒になり、下元はいつのまにかなくなってしまったそうです。

Copyright(C)2009 日本の行事と文化 -日本の行事と文化ぷらざ All Rights Reserved